【SECの歴史】
エス・イー・シーの設立は1975年11月で今年で47年になります。
創業当時、コンピュータシステムの保守・修理を生業としていましたが、様々な経緯を経て現在のデータエントリーシステムソフトをはじめとするソフトウェア開発を主体とする業務へと変遷してきました。ここではSECの歴史について振り返ってみたいと思います。 |
1.創業と設立
エス・イー・シーの設立は1975年11月で今年で47年になります。当時の業務内容は、POSシステム・紙テープ端末カードパンチ・ディスパック・ミニコンピューター・FAコンピューター等々の保守修理でした。 |
2.設立後に見舞われた火災
設立後、台東区黒門町に事務所オフィス構えました。心機一転これからというときに、オフィスビルが、もらい火により火災になってしまいました。幸い当社のへの延焼は免れましたが、中は煙と煤で真っ黒になってしまいました。又、お客様から修理のためお預かりしていた機械は、水をかぶってしまいました。お客様には事情を話し弁償することで、ご理解いただきました。お客様へ誠意を尽くすことの大切さを実感しました。 |
3.現在の事務所へ移転
オフィスが火事に遭って、別事務所を探していた処、現事務所のオーナーさんと知り合い、半年後の完成時にという条件付きで、借りることが出来ました。 現在は当時の2倍以上のスペースと、別に会議室を借りています。 |
4.POSシステム保守とソフトウェア事業の始まり
事業の拡大を考えていた当社はガソリンスタンドが POS化されることに着目し、POSメーカーへ日参し、P O S システム保守の仕事を受注することができました。 |
ガソリンスタンドの営業時間は様々で、業態も色々でした。1 9 7 5 年頃からO A 機器にもマイコンを搭載したものが出始め、当社が保守を受け持っているP O S システムもマイコン制御でした。そのため保守を行っていく上でマイコンの知識が有り、プログラミングが出来ることが強く求められました。それが出来ないと、販売価格変更などという些細な事でも、メーカーの人に来てもらい、変更作業が、高額で煩雑でした。当時からスタンドの会員制度がスタートし、買い上げ数量によって販売単価を変えていましたので、会員数の多いスタンドほど頻繁に変更の作業が発生して、コスト増に悩んでいました。 |
そこで当社でプログラミングが出来る様になれば、低コスト化と迅速性が実現できます。早速マイコンプログラミングを猛勉強し、3 ヶ月後には変更作業の業務を任せてもらうことが出来るようになりました。 |
5.本格的なソフトウェア事業の創成期~ちょっとだけゲームソフトの開発~
POSシステムの保守に始まり、ソフトウェア開発の受注も増え、業績は急激に上向いてきました。ソフトウェア開発は、人手が必要な仕事なので、処理できる件数は限られていました。
それでも、メーカーからの仕事依頼の量は日を追って増え、急遽技術者の募集をしたところ、プログラム開発ができる技術者が入社致しました。
業容拡大に、大手のゲームメーカーに話し、麻雀ゲームを受注しました。しかし、この技術者氏の他誰も社内で麻雀など、ルールなど何一つとして全く知らないというありさまでしたので、仕事で狂ったように麻雀の猛勉強を始めました。 そして苦難?半年やっと麻雀ゲームの完成です。当時としては出来映えも中々よくてそのメーカーは久々のヒット商品と成りました。某有名ゲームメーカーですがそのゲームの趨りを担ったのが当社で有ることはあまり知られていません。 |
その後も花札ゲーム等々色々なゲームを手がけました。 |
6.ソフトウェア事業の発展
その後もゲームソフトの作成は続きましたが、1 9 8 0年頃からオフィスコンピューターの企業業務ソフト開発と、事務用パッケージソフトの開発受注が始まり本格的なソフト開発がスタートしました。
只、受注と言っても客先に出向いての仕事になり、終わったら、又、次の客先に行って受注したソフトの開発を行うという いわゆる技術者派遣事業のはしりでした。しかし、技術者だった創業者は、このままでは社内に技術やノウハウの蓄積が出来ない事を懸念し、並行して行っていた保守の仕事行いつつヒントを探していました。こちらの方は毎日ユーザーとの接点があり、多くの要望や意見を伺うことが出来ました。そのような中の一つに有るユーザーから、現在ワープロを使って文字入力を行っているが能率が良くない。もっと文字入力に特化した操作性のいい入力システムは無いかとの相談を受けました。当時平均的なワープロソフトは5万円台後半で、一方平均的なスタンドアロンの専用機は150万円ほどもしていました。 |
そのような時代に一台5 0 万円(5 年リースで月1万円) でPCを使った入力専用機を作ろうと計画をし、1994年6月、元祖Super-Entry の開発スタートです。 |
7.Super-Entryシリーズ開発の着手へ
しかしSuper-Entryの販売ターゲットであったデーターエントリー業界では、はっきりとした棲み分けが出来ていて、新参の会社が新システムを提案しても、すぐ受け入れられる環境ではありませんでした。 そのような状況下、エントリーの新システムを、小さく、しかも、世間的にも名の知られていない当社が作ろうというのですから、販売側も、エントリー会社側も、興味半分で本音はどうせ使い物になんか成るわけがないと内心思いながら、「出来たら見せてよ」というのが初期の反応でした。 |
当時日本国内で供給されている入力専用機と称するもののすべてはアメリカ製の物で、日本独自の技術で作られた、日本製の専用機はありません。機能としては、それ程難しさを要求されなく機械的にも難易度の少ないエントリー機が、なぜ日本で作られなかったかと言えば、一足先に作ったアメリカ製の物をお金を出して買う方が簡単だから。ということに成ると思います。しかし、文化の違う国の製品が、日本ですんなり市民権を得たわけではありませんでした。元来、機械は仕事を能率的に行うための道具であるべきで、エントリーに至っては、機械に仕事を合わせていたという何とも奇妙な現象が、平気でまかり通っていた時代でもありました。 |
そんな中SECの作るエントリー機はいかにあるべきか日夜考えた末、当時冒険でしたが、機械はPCを使う。OSはWindowsを使う。そしてPCのハードには一切手を加えない。を基本コンセプトにし、機能的には、すべての連想記憶入力方式に対応することにし、価格は当時販売されていた専用機の1/3程度の50万円を切るということを目標にしました。 このコンセプトが業界に知れ渡ると、メーカーサイトには勿論のこと、ユーザーサイトにも瞬く間に広がりました。しかし、実態が明らかに成るにつれ、「PCでデータエントリーが出来るわけが無い」というものでした。確かに今まで数千万円の投資をして入力作業を行っていた業者、そしてその装置を納入していた業者から見れば、価格的にはまさに天変地異の出来事と言っても過言では無い事でした。 |
Super-Entryも1994年10月に完成し、以降紆余曲折を経て、現在までSuper-Entry の開発と販売を続けて来ています。 途中色々なユーザーからの提言、批判等も頂きましたが、振り返ってみれば、20年以上の長きに渡りここまでやってこられたのは個人情報保護法、マイナンバー法などの社会情勢変化への対応、お客様のお困りごとを独創的なアイディアと、開発に携わったスタッフのの弛まぬ努力でお役に立ってきたことの賜であると自負しています。 今後ともお客様のお悩みに”お客様と一緒に”各種事務処理・BPOの課題に取り組んでまいります。貴社の課題解決に是非当社をご用命ください。 |